Hatena::Groupkrishnamurti

クリシュナムルティの智慧 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-02-28

刺激と啓発は異なる

| 刺激と啓発は異なる - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 刺激と啓発は異なる - クリシュナムルティの智慧 刺激と啓発は異なる - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


「それらはただ刺激的なだけですか、それとも啓発的ですか? 刺激されることと気づくこととの間にははっきり違いがあります。気づいていることは、内なるあらゆるものを照らし出す炎のようなものです」


【『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J.クリシュナムルティ/大野純一訳(コスモスライブラリー、2000年)】

2010-02-27

瞑想とは思考がやむこと

| 瞑想とは思考がやむこと - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 瞑想とは思考がやむこと - クリシュナムルティの智慧 瞑想とは思考がやむこと - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 ひとは葛藤からのがれるために、さまざまな瞑想をあみだしてきました。しかし、それらの瞑想は、欲望や意図にもとづいていて、なんとかそれを達成しようという衝動にかりたてられています。したがって、それらのなかには、どこかにたどりつこうとする苦闘や葛藤が含まれています。

 このような意識され、意図された努力が、条件づけられた心の限界を超えることはありません。そこには、まったく自由がありません。

 瞑想をしようとする努力はすべて、瞑想を否定するものです。

 瞑想とは、思考がやむことです。そのときこそ、時間を超えた新たな次元があらわれるのです。


【『瞑想』J・クリシュナムルティ/中川吉晴訳(UNIO、1995年)】

2010-02-26

瞑想とは世界とそのあり方を理解すること

| 瞑想とは世界とそのあり方を理解すること - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 瞑想とは世界とそのあり方を理解すること - クリシュナムルティの智慧 瞑想とは世界とそのあり方を理解すること - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 瞑想は世俗からの逃避ではない。それは孤立的で自己閉鎖的な活動ではなく、世界とそのあり方を理解することである。社会は衣食住以外には与えるところ少なく、それが与える快楽は大きな悲嘆を伴うのが常である。

 瞑想はそのような世界を豁然(かつぜん)として離れ去ることであり、人は全的にアウトサイダーでなければならない。そのときにこの世は意味を帯び、天と地はその本来の美を不断に開示する。そのとき愛は快楽の影を宿さない。そしてこの瞑想こそは、緊張や矛盾、葛藤、自己満足の追及、力への渇望などから生まれたものではない、全ての行為の源泉である。


【『クリシュナムルティの瞑想録 自由への飛翔』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(平河出版社、1982年/サンマーク文庫、1998年)】


クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔 (mind books)

2010-02-25

愛とは

| 愛とは - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 愛とは - クリシュナムルティの智慧 愛とは - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 ……恐怖は愛ではない。依存は愛ではない。嫉妬は愛ではない。所有と支配は愛ではない。責任と義務は愛ではない。自己憐憫は愛ではない。愛が憎悪の反対でないのは、謙譲が虚栄の反対でないのと同じである。だからもし強制的でなく、雨が幾日にもわたってたまった塵を木の葉から洗い流すようにこれらすべてを除き去るなら、おそらくわれわれが常に渇望するこの不思議な花へと行き着くだろう。


【『クリシュナムルティ・開いた扉』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1990年)】

2010-02-24

平和の気

| 平和の気 - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 平和の気 - クリシュナムルティの智慧 平和の気 - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 村人たちが大声をかけ合っていた。そしてかれらの元気な声は、くっきりと水の上を渡ってきた。この叫び声には、何かしら快いものがあった。それは暖かくて、優しかった。一つの声が、澄んだ空気に乗って川を渡ってきた。すると別の声が、上流のどこかから、または対岸の土手あたりから、それに答え返した。このどちらも、朝の静寂を乱してはいないようだった。そしてそこには、大いなる、変わらぬ平和の気があった。


【『生と覚醒のコメンタリー 4 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー〈4〉クリシュナムルティの手帖より

2010-02-23

生の海

| 生の海 - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 生の海 - クリシュナムルティの智慧 生の海 - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 かくして、充分に発達した個別的存在としてのクリシュナムルティは、〈生の海〉に入り、〈教師〉になったのです。なぜなら、あなたがその〈生〉――すべての〈教師〉の達成であり、すべての〈教師〉の生であるところの――に入るやいなや、個人それ自体はいなくなるからです。(1928年ロンドンでのインタビュー)


【『白い炎 クリシュナムルティ初期トーク集』J.クリシュナムルティ/大野純一訳(コスモスライブラリー、2003年)】


白い炎―クリシュナムルティ初期トーク集

2010-02-22

洋の東西という条件づけ

| 洋の東西という条件づけ - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 洋の東西という条件づけ - クリシュナムルティの智慧 洋の東西という条件づけ - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 指摘させていただくなら、この、西洋の、または東洋の人々という区別は、地理的で、便宜的なものなのではないだろうか? それは、何ら根本的な意義を持たない。われわれがある線の東または西に生きていようと、あるいは褐色、黒色、白、あるいは黄色に生まれつこうと、われわれはすべて人間なのである。苦悩し、希望し、恐れ、そして信じ込んでいる。喜びと苦しみはここにもある、それらがそこにあるように。思考は、西洋のものでも、東洋のものでもないが、しかし人間はそれを自分の条件づけに従って区別してしまうのである。愛は、ある大陸では神聖とされ、そして別の大陸では拒まれるような地理的なものではない。人間の区別は、経済的および搾取する目的のためのものである。だからといって、これは、個々人の間には気質、等々において違いがないということを意味してはいない。類似性はあるが、にもかかわらず違いはある。このすべてはかなり明らかであり、そして心理的に事実なのではないだろうか?


【『生と覚醒のコメンタリー 3 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー〈3〉クリシュナムルティの手帖より

2010-02-21

【あるがままのもの】を【あるがままに】観察する

| 【あるがままのもの】を【あるがままに】観察する - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 【あるがままのもの】を【あるがままに】観察する - クリシュナムルティの智慧 【あるがままのもの】を【あるがままに】観察する - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 ですから、非難もせず、正当化もせず、自己を他のものと同一化もせずに、【あるがままのもの】を【あるがままに】認識したとき、私たちはそれを理解することができるのです。自分自身がある一定の条件と状況のもとに置かれていることを知ることが、すでに自己解放の過程にあるということです。これに反して、自分が置かれている条件や、内なる葛藤を自覚していない人間は、自分とは別の人間になろうとして、その結果、それが習慣になってしまうのです。そういうわけですから、ここで次のことを銘記しておきましょう。私たちは【あるがままのものをあるがままに】考察し、それに偏向を与えたり、解釈を加えたりせずに、実際にある通りのものを観察し、認識したいのだということを。【あるがままのもの】を認識し追及していくためには、きわめて鋭敏な精神と柔軟な心を必要とします。というのは、【あるがままのもの】は絶え間なく活動し、絶えず変化し続けているからなのです。そしてもし精神が、信念や知識というようなものに束縛されていたりすれば、その精神は追求をやめ、【あるがままのもの】の素早い動きを追わなくなってしまいます。【あるがままのもの】は、決して静的なものではなく、厳密に観察してみると分かるように、絶えず活動しているのです。そしてその動きについてゆくには、非常に鋭敏な精神と柔軟な心の働きが必要なのです。ですから精神が静止していたり、信念や先入観に囚(とら)われていたり、自己を対象と同一化してしまっていると、そのような働きが出てこないのです。また干からびた精神や心は、【あるがままのもの】を素早く敏捷に追っていくことができません。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】


自我の終焉―絶対自由への道

2010-02-20

私は乞食であっても幸せです

| 私は乞食であっても幸せです - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 私は乞食であっても幸せです - クリシュナムルティの智慧 私は乞食であっても幸せです - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 お金は別に欲しくないのです。私は乞食であっても幸せです。私は事実そうなのです。(エミリー夫人宛ての手紙)


【『クリシュナムルティ・実践の時代』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)】

2010-02-19

クリシュナムルティの神秘体験

| クリシュナムルティの神秘体験 - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - クリシュナムルティの神秘体験 - クリシュナムルティの智慧 クリシュナムルティの神秘体験 - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 私が正気に戻りはじめると、ついにウォーリントン氏が、家の近くにある胡椒の木の下に行くよう進めました。私は瞑想の姿勢で足を組んでそこに坐りました。そのようにしてしばらく坐っていると、私自身が身体から離れるのを感じ、私の上にあるその木の繊維で柔らかな葉とともに坐っている自分が見えました。私は東の方を向いていました。ロード・ブッダ波動が感じられました。ロード・マイトレーヤーとマスター・クートフーミが見えました。とても幸福で、静かで、平和でした。私にはまだ自分の身体が見え、その近くを漂っていました。大気中にも私自身の内にも非常に深い静けさがあり、それは底知れない湖の底にある静けさでした。その湖のように心と感情をもった私の身体は表面はかき乱されうるとしても、何も、そう何ものも、私の魂の静けさを妨げることはできないということを感じました。偉大な方たちはしばらくのあいだ私とともにあり、やがて去って行かれました。私はこのうえなく幸福でした。というのも私は見たからです。すべてのものが以前と同じではあり得ません。私は生の源泉の、透明でけがれのない水を飲み、渇きは癒されたのです。二度と再び、私が渇くことはあり得ないでしょう。私は〈光〉を見たのです。私は、あらゆる悲しみと苦しみを癒す慈悲に触れたのです。私自身のためにではなく、世界のために。私は山頂に立ち、偉大な〈存在〉を見つめました。二度と私が暗闇に落ちこむことはあり得ません。私は、輝かしく癒しの力をもった〈光〉を見たのです。〈真理〉の泉が私に開顕されたのです。そして暗闇は消滅したのです。愛がその最高の輝きで私の心を酔わせました。私の心はもう閉じることはないでしょう。私は〈歓び〉の泉、永劫の〈美〉の泉の水を飲んだのです。私は神に陶酔しました。(※クリシュナムルティ本人による報告書/1922年8月)


【『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)】


クリシュナムルティ・目覚めの時代 クリシュナムルティの生と死

2010-02-18

善性は自由の中でのみ開花する

| 善性は自由の中でのみ開花する - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 善性は自由の中でのみ開花する - クリシュナムルティの智慧 善性は自由の中でのみ開花する - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


〈善性〉は自由のなかでのみ開花することができます。どのようなかたちであっても、説得の土壌や強制のもとでは花開くことはありません。またそれは報酬の結果でもありません。どのような種類のものであっても、模倣や適合があるとしたら、善性は姿を現わしません。また当然のことですが、恐怖のあるところにも、それは存在できません。善性は行動にあらわれますが、その行動は感受性に基づいています。この善性は、行為にもあらわれます。(15th September 1978)


【『学校への手紙』J・クリシュナムルティ/古庄高〈ふるしょう・たかし〉訳(UNIO、1997年)】

2010-02-17

思考は過去の反応であり、理解は現在である

| 思考は過去の反応であり、理解は現在である - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 思考は過去の反応であり、理解は現在である - クリシュナムルティの智慧 思考は過去の反応であり、理解は現在である - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 理解は過去の過程だろうか、あるいはそれは、常に現在にあるのだろうか? 理解は、現在における行為を意味する。あなたは、理解は刹那においてあること、それは時間のものではないことに気づかなかっただろうか? あなたは徐々に理解するのだろうか? 理解は常に、即座、今、なのではあるまいか? 思考は過去の結果である。それは過去にもとづいている、それは過去の反応である。過去は被蓄積物であり、そして思考は蓄積物の反応である。いかにしてそれでは、果たして思考が理解できようか? 理解は意識の過程だろうか? あなたは、意識的に理解に着手するのだろうか? あなたは、黄昏の美を享受することを選ぶのだろうか?


【『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

2010-02-16

心理的安定と断片化

| 心理的安定と断片化 - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 心理的安定と断片化 - クリシュナムルティの智慧 心理的安定と断片化 - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


B――何もかもが急速に変化しているので、自分がどこにいるのかわからないほどです。それなのになぜ、問いたださずに生き続けていこうとするのでしょう?


K――なぜ問いを発しないのでしょう? 恐怖のせいです。


B――ええ、しかしその恐怖は断片化から起こるのです。


K――むろんそうです。では、それがこの断片化のはじまりなのでしょうか。断片化は、人が安定、安全を追い求めているときに起こるのでしょうか。


S――しかしなぜ……?


K――生物的ならびに心理的に。まず何よりも心理的に、しかるのちに生物的に、あるいは物質的に。


B――しかし、物質的安定を求める傾向は有機体に組みこまれているのではないでしょうか。


K――ええ、そのとおりです。人は衣食住を確保しなければなりません。それは絶対に必要です。


S――そうです。


K――そこでそれが脅かされるとき――もし私がソ連で暮らしながら、共産主義体制を全面的に批判したら、私は人非人扱いされるでしょう。


S――しかし、ここは少々ゆっくりと進めていただきたいのですが、生物的に安定を求めていくことで、人は何らかの断片化に陥らざるをえない、とあなたは示唆していらっしゃる。


K――いや、そうではなく、生物的レベルで断片化、不安定が起こるのは、人が心理的レベルで安定を欲するときです。


S――それならわかります。


K――私の言うことがおわかりですか。ちょっと待ってください。それはつまりこういうことです。もし人が心理的に何らかの集団に属さなければ、そのときはその集団からはみ出してしまいます。


S――すると不安定になる。


K――不安定です。そしてその集団が私に安定、物質的安定を与えてくれるので、私は、それが与えてくれるものを何もかも受け容れてしまうのです。


S――ええ。


K――しかし人は、真理的に、社会、コミュニケーションの構造に異議を申し立てるやいなや、途方に暮れてしまうでしょう。これはあきらかな事実です。


S――たしかに。


B――そうですね。


【『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ/大野純一、聖真一郎〈ひじり・しんいちろう〉(平河出版社、1986年)】

2010-02-15

一体化は所有を意味する

| 一体化は所有を意味する - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 一体化は所有を意味する - クリシュナムルティの智慧 一体化は所有を意味する - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 われわれが他者と一体化する場合、それははたして愛の徴(しるし)だろうか? 一体化は試行を意味するだろうか? 一体化は、愛と試行に終止符を打つのではないだろうか? 一体化は、疑いもなく所有であり、所有権を主張することである。そして所有は、愛を否定するのではないだろうか? 所有することは安心することであり、所有は防衛であって、繊細な感受性を損なうものである。一体化のうちには、粗雑、精妙の別を問わず、抵抗がある。しかるに、愛は一種の自己防衛的抵抗だろうか? 防衛のあるところに愛があるだろうか?

 愛は繊細で傷つきやすく、柔軟で、受身的なものである。それは最高度の鋭敏さであるが、一体化は逆に鈍感さを助長する。一体化と愛とは、相容れないものである。なぜなら、その一方は他方の芽を摘み取るものであるからだ。一体化は、本質的に、精神の自己防衛または拡張のための思考過程であり、そして何かになるためには、精神は、抵抗し、防衛し、所有しまたは見捨てていかなければならない。この、何かになろうとする過程で、精神または自己(セルフ)はより強固で有能になっていく。しかし、これは、愛ではない。一体化は自由を損う。しかし自由においてのみ、最高の形の鋭敏さがありうるのである。

 試行するためには、一体化の必要があるだろうか? 一体化という行為こそはまさに、探究、発見を終焉させてしまうのではないだろうか? 自己発見の試みがないかぎり、真理によってもたらされる幸福はありえない。一体化は発見に終止符を打つ――それは別の形をした怠惰なのだ。一体化は代行経験であり、それゆえ多くの虚偽である。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉

2010-02-14

分析は変化を阻む

| 分析は変化を阻む - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 分析は変化を阻む - クリシュナムルティの智慧 分析は変化を阻む - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 なぜ人はこれほどまでに暴力的なのか、怖れでいっぱいなのか、こんなにも貪欲で、競争的なのか、こうまでひどく野心的なのでしょうか。

 分析によってその原因を見いだすことはかなりたやすいことですが、それで変化が引き起こされるでしょうか?

 明らかに無理です。

 そのことによってでも、動機を見つけだすことによってでもです。

 だとしたら、なにが変化を引き起こすのでしょう?

 いったいなにが、徐々にではなくただちに、心理的な革命を引き起こすのでしょうか?

 私には、それこそ唯一の問題の核心に思えるのです。

 分析――専門家による分析、あるいは内省的な分析――は、問題への答えとはなりません。

 分析には時間がかかります。

 たいへんな洞察を必要とします。

 誤った分析をすれば、あとにつづく分析もまちがってしまいます。

 もしもあなたが分析してある結論に達し、その結論から先へ進むのであれば、あなたはすでに妨害され、障壁に囲われています。

 さらに分析には、「分析者」と「分析されるもの」という問題があるのです。

 動機づけや、分析して原因を発見することによるのでもないとしたら、ラディカルな、根本的な変化は、いったいどうやって心理的、内的に引き起こされるのでしょうか?

 人がなぜ怒っているのか理由を見いだすことはたやすくできますが、それで怒りがしずまるわけではありません。

 戦争の引き金となるような原因を見いだすことはできます。経済的、国家的、宗教的な原因、あるいは政治家たちのプライド、イデオロギー公約などなどといったように。

 それでも私たちは互いに殺しあいつづけるのです。神の名において、イデオロギーの名において、国家の名において、ともかくなにかの名において。

 この5000年のあいだに15000もの戦争が起こっているのです!

 それでもいまだに、私たちはなんの愛も、なんの慈悲もないのです!(ブランダイス大学での講話)


【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ/竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】

2010-02-13

笑いは真面目さの一部である

| 笑いは真面目さの一部である - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 笑いは真面目さの一部である - クリシュナムルティの智慧 笑いは真面目さの一部である - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


「冗談ならいくつも知っている。良い冗談で野卑なのではないのをね」楽しい雰囲気が静まるのを待って彼は気軽に付け加えた。「笑いは真面目さの一部です。自分自身を本当に笑い、はっきりと真剣に自分をみつめる。それでいて笑いを忘れない!」


【『キッチン日記 J.クリシュナムルティとの1001回のランチ』マイケル・クローネン/高橋重敏訳(コスモスライブラリー、1999年)】

2010-02-12

順応には恐怖がある

| 順応には恐怖がある - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 順応には恐怖がある - クリシュナムルティの智慧 順応には恐怖がある - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 模倣するのではなく、発見する。【それ】が教育でしょう。社会や親や先生の言うことに順応するのはとても簡単です。安全で楽な存在方法です。しかし、それでは生きていることにはなりません。なぜなら、そこには恐怖や腐敗や死があるからです。生きるとは、何が真実なのかを自分で見出すことなのです。そして、これは自由があるときに、内的に、君自身の中に絶えまない革命があるときにだけできるでしょう。


【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ/藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】

2010-02-11

小さな修正は革命に非ず

| 小さな修正は革命に非ず - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 小さな修正は革命に非ず - クリシュナムルティの智慧 小さな修正は革命に非ず - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 皆さんは、新しいあり方、新しい文化、新しい社会構造を欲していないのです。もし皆さんが何か新しいものをお持ちなら、それは革命的かもしれませんし、現状破壊的かもしれません。そして皆さんは物事をそのままにしておくことを望むので、こう言うのです。「そうだ、教育を統制してくれる政府を支持しよう」。皆さんはあちらこちらで小さな修正は望むのですが、考え方そのものの革命は望まないのです。そして皆さんが考え方そのものの革命を欲するやいなや、政府が口をはさみ、皆さんを投獄するか、あるいはすみやかに屋外に追放し、そして皆さんは忘れ去られるのです。


【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモスライブラリー、2000年)】


クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性

2010-02-10

真理は「与えられるもの」ではない

| 真理は「与えられるもの」ではない - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 真理は「与えられるもの」ではない - クリシュナムルティの智慧 真理は「与えられるもの」ではない - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


「理想を与えたのでなければ、あなたは何を与えようとしていたのですか?」と私は聞いた。

「現実の本質を探究するための友情と会話、そして対話です。真理は、宗教や導師によって与えられる既成のものではありません。真理は発見されなくてはなりません。人生は発見の旅です。固定的で不変的な何かがあって初めて確実さは存在できます。しかし、現実は常に動き変わっていきます。それは絶え間なく変化しています。もし私たちの心が固定された信条や特定の知識に束縛されてしまったら、どうやってこの絶え間ない変化に対応できるでしょう? 現実は静的でないのだから、私たちも機敏で柔軟な心を持つことが必要です。そうであって初めて、存在の動的な性質に対処することができるのです。私が提供できたのは、そして提供できるのは、絶えることのない会話と探究だけです。このような探究を通じてのみ、私たちは恐怖と固定観念から完全に自由になれるのです」


【『君あり、故に我あり 依存の宣言サティシュ・クマール/尾関修、尾関沢人〈おぜき・さわと〉(講談社学術文庫、2005年)】


君あり、故に我あり―依存の宣言 (講談社学術文庫)

2010-02-09

「非暴力」は暴力的な精神によって発明された理想

| 「非暴力」は暴力的な精神によって発明された理想 - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「非暴力」は暴力的な精神によって発明された理想 - クリシュナムルティの智慧 「非暴力」は暴力的な精神によって発明された理想 - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 憎悪に満ちた精神は、真に非暴力的な状態の最高の顕現である慈悲心を知ることはできない。暴力的な精神は、「想像された」非暴力の状態を憶測し、理論づけることができる。それゆえ、暴力的な精神によって発明された理想は、表向きはいかに気高く見えようと、必然的に架空のものである。そのうえ、怒った人が非暴力の理想に固執するとき、彼の怒りは本当に消えるのだろうか、あるいは衰えることなく持続するのだろうか? 起こることはむしろ、「理想」が彼の怒りという事実を隠蔽するのを助けてしまうということである。ある場合には、怒りは聖人のような装いのもとに隠蔽される。もし暴力が私の真の本性なら、そのときにはそれが「あるがままの状態」であり、だからそれに充分に直面するほうがはるかに賢明なのではないだろうか?


【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)】


気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える

2010-02-08

クリシュナムルティの言葉には鎮静効果があった

| クリシュナムルティの言葉には鎮静効果があった - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - クリシュナムルティの言葉には鎮静効果があった - クリシュナムルティの智慧 クリシュナムルティの言葉には鎮静効果があった - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 彼の言葉は鎮静効果を持っていた。長い沈黙があり、その間私たちはじっと坐ったままだった。何をしても無駄だった。にもかかわらず、そこにはなお内なる運動があった。(デビッド・E・S・ヤングによる記録)


【『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J.クリシュナムルティ/大野純一訳(コスモスライブラリー、2000年)】

2010-02-07

聞く技術

| 聞く技術 - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 聞く技術 - クリシュナムルティの智慧 聞く技術 - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 私は、私たちの日常生活で使っているごく簡単な言葉で、より一層深い意味を伝えてみたいのです。しかしもしあなたが、「聞き方」を知らなければ、それはとても困難なことになります。

「聞く技術」というものがあります。本当に相手の言葉を聞くためには、あらゆる偏見や、前もって公式化されたものや、日常の生活の問題などを捨ててしまうか、脇へ片づけておかなければなりません。心が何でも受け入れられる状態にあるときには、物事はたやすく理解できるものです。あなたの本当の注意力が【何かに】向けられているとき、あなたは【聞いて】います。しかし残念なことに、たいてい私たちは抵抗というスクリーンを通して【聞いて】いるのです。つまり私たちは、宗教的なあるいは精神的な偏見や、心理学的あるいは科学的先入観のほかに、日常の心配事、欲望、恐怖というようなスクリーンに遮(さえぎ)られています。このようにいろいろなものをスクリーンにして、私たちは【聞いて】いるのです。ということは、話されていることを聞いているのではなくて、実際は、自分自身の心の中で立てている騒音や雑音を聞いていることになります。今まで受けてきた教育、偏見、性癖、抵抗などを捨て、言葉上の表現を超え、その奥底にあるものを即時に理解するように【聞くこと】は、とても困難なことです。これこそまさに、現在私たちが直面する困難な問題の一つなのです。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】


自我の終焉―絶対自由への道

2010-02-06

開花は自由を意味する

| 開花は自由を意味する - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 開花は自由を意味する - クリシュナムルティの智慧 開花は自由を意味する - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 私たちは何世紀もの間、プロパガンダなどによって、「何を考えるか」ということを促されてきました。現代の教育もほとんど同じで、思考の全体の動きを探究するものではありません。開花は、自由を意味します。それは植物と同じように、成長する自由を必要とします。(1st Sepetember 1978)


【『学校への手紙』J・クリシュナムルティ/古庄高〈ふるしょう・たかし〉訳(UNIO、1997年)】

2010-02-05

思考は記憶であり、言葉であり、経験の蓄積である

| 思考は記憶であり、言葉であり、経験の蓄積である - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 思考は記憶であり、言葉であり、経験の蓄積である - クリシュナムルティの智慧 思考は記憶であり、言葉であり、経験の蓄積である - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 知ること、すなわち経験の蓄積は、刻々の体験ではない。知ることは刻々の体験を妨げる。経験の蓄積は連続的過程であり、そして各々の経験はこの過程を強める。各々の経験は記憶を強化し、それに活力を与える。この不断の記憶の反応なしには、記憶はすぐに消え去るだろう。思考は記憶であり、言葉であり、経験の蓄積である。記憶は過去のものである、意識がそうであるように。この、過去の重荷の全体が、精神であり、思考である。思考は、被蓄積物なのだ。そしていかにして思考が、新たなるものを発見すべく自由でありうるだろうか? 新たなるものがあるためには、それは終らねばならない。


【『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

2010-02-04

「私」は断片化そのものである

| 「私」は断片化そのものである - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 「私」は断片化そのものである - クリシュナムルティの智慧 「私」は断片化そのものである - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


K――それはあなたが、自分はクリスチャンだと言うのと同じことです。それは何を意味しているのでしょう?


S――伝統、条件づけ、社会、歴史、文化、家族、等々のすべて。


K――しかし、何がその背後にありますか。


S――その背後には人間の……


K――いやいや、理論化しないで、それを自分のなかに見出すようにしてごらんなさい。


S――そう、それは私に居場所、アイデンティティを与えてくれます。そのとき私は、自分が誰かを知り、自分の小さな居場所をもつのです。


K――誰がその居場所をつくったのですか。


S――私がそれをつくり、そして周囲に私が手を貸したのです。私は、まさにこんなふうにして協力しているのです。


K――協力しているのではなく、あなたは即それなのですよ。


S――私はそれです、たしかに。何もかもが……私を穴に押し込めるほうへと動いているのです。


K――では、何があなたをつくり上げたのでしょう? 曽祖父のそのまた曽祖父がこの環境、この文化、この、人間存在の全構造とそれに伴ういっさいの不幸、いっさいの葛藤――すなわち断片化――をもたらしたのです。


【『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ/大野純一、聖真一郎〈ひじり・しんいちろう〉(平河出版社、1986年)】

2010-02-03

奇蹟は魅力的な子供の演技に過ぎない

| 奇蹟は魅力的な子供の演技に過ぎない - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 奇蹟は魅力的な子供の演技に過ぎない - クリシュナムルティの智慧 奇蹟は魅力的な子供の演技に過ぎない - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 私にかつてひとりの友人がいて、私はその人の病気を治しました。ところが数か月たつと、彼は何かの犯罪で監獄に入れられました。ある教師がいて、永久に全体である道を示してくれるのと、一時的に傷を治してもらうのと、あなたがたはどちらを選びますか? ……奇蹟は魅力的な子供の演技です。奇蹟は毎日起こっています。医者は奇蹟を演出しています。私の友人の多くは霊的治療者です。しかし、彼らは身体は治すかもしれませんが、心を全体化することができなければ、病気はまた起こるのです。私に関心があるのは心を治すことであって、身体を治すことではありません。どの偉大な「教師」も奇蹟は演じません。なぜならそれは真理に背くことになるからです。


【『クリシュナムルティ・実践の時代』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)】

2010-02-02

儀式は形式化する

| 儀式は形式化する - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - 儀式は形式化する - クリシュナムルティの智慧 儀式は形式化する - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 儀式は、いかに美しく、素晴らしいものであろうと、その動きを形式化し、その活動範囲を狭隘化してしまうことは避けられない。


【『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)】


クリシュナムルティ・目覚めの時代 クリシュナムルティの生と死

2010-02-01

クリシュナムルティ信奉者

| クリシュナムルティ信奉者 - クリシュナムルティの智慧 を含むブックマーク はてなブックマーク - クリシュナムルティ信奉者 - クリシュナムルティの智慧 クリシュナムルティ信奉者 - クリシュナムルティの智慧 のブックマークコメント


 先日、ある人物が、誰某はこれこれの集団に属しているが、自分は「クリシュナムルティ信奉者(アイト)」だと言った。そう言っていたとき、彼はその一体化の意味あいに全く気づいていなかった。彼は決して愚鈍な人間ではなく、読書家で教養もあるといった人物であった。いわんや彼は、そのことに決して感傷的になっていたわけでも、また情緒に流されていたのでもない。それどころか、彼は明晰ではっきりとしていた。

 彼はなぜ「クリシュナムルティ信奉者」になったのか? 彼は、他の人間たちに従ったり、あるいは数多くの退屈な集団や組織に所属したりしてきたのだが、そのあげくに、ついにこの特定の人物に自分自身を一体化させたのである。彼の語ったところからみて、彼の旅は終わったもののようであった。彼は足場を築き、そして行き着くところまできたのである。彼は運び終えたのであり、いかなるものも彼を動かすことはできなかった。これからは彼は心地良く腰を据えて、これまで語られてきたこと、そしてこれから語られるであろうことのすべてに、熱心に従っていくことだろう。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉