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クリシュナムルティの智慧 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-03-19

初めに自由ありき

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 これから行おうとしているような探究をするためには、先に行って究極的に自由になるというのではなく、先ずはじめにわれわれが自由であるのでなければだめです。というのは人が自由でないのなら、探究し調査し検討することはできないのですから。深く見つめるには、実は自由だけではなく、観察に必要な訓練(ディシプリン/規律)もいります。自由と訓練とはたずさえるべきものです(ただし自由になるために訓練をつまねばならないという意味ではありません)私は「訓練」という言葉を使いますが、それは行動を規制し模倣し抑圧し、一定の様式に従わせるというような伝統的な意味で言うのではなく、むしろこの言葉の語源である「学習する」ということなのです。だから、学習と自由とは相たずさえるものだ、自由はそれに必要な学習を伴う、というように言えるわけです。つまり、ある結果を得るために精神的に課した訓練という意味ではありません。この二つ──自由と学習活動は、本質的に欠くことのできない要素です。人間が自由でないなら、自からに関して学ぶことはできません。自由にしてはじめて観察ができる。それもあるパタンだとか、方式、概念にあてはめて見るのではなく、あるがままの自己を観察するのでないといけません。このような観察、知覚、観照というものは、個有(ママ)の訓練、つまり学習をもたらします。何となれば、ここには、規制、模倣、抑圧、統制といったものはないのですから──つまり、新しい、真に美しい姿ができるわけですから、その意味での学習が行われるわけなのです。


【『自由への道 空かける鳳のように』クリシュナムーテイ/菊川忠夫訳(霞ケ関書房、1982年)】


自由への道 空かける鳳のように