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クリシュナムルティの智慧 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-05-31

私はいつなにかを「知る」のでしょう?

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「自分自身」というのはもはや使い古しです。

 人は、その専門家フロイトであろうとだれであろうとかまわないのですが、とにかく他の人から教えられたことを繰り返すだけなのです。

 自分自身を知りたいなら、専門家の目を通して見ることはできません。

 直接自分自身を見なければならないのです。

 いったいどうしたら、「観察者」であることなく自分自身を知ることができるでしょうか?

「知る」ということばで、私たちはなにを意味しているのでしょう?

 ことばのあら探しをしているわけではないのですが――「知る」「知ること」ということばで、私たちはなにを言おうとしているのでしょうか?

 私はいつなにかを「知る」のでしょう?

 私はサンスクリット語を「知っている」、ラテン語を「知っている」と言います。あるいは、私の妻や夫を「知っている」と。

 言語を知ることは、妻や夫を「知ること」とはちがいます。

 私は言語を知るために学びますが、いったい私が妻を――あるいは夫を――知っていると言えるでしょうか?

 私が妻を「知っている」と言うとき、それは私が妻に関するイメージをもっているということです。ですが、そのイメージというのはつねに過去のものなのです。

 そのイメージのせいで、私は妻を見られなくなってしまうのです。

 彼女はすでに変わっているかもしれません。

 だとしたら、私はいったい「知っている」と言えるでしょうか?(ブランダイス大学での講話)


【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ/竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】


あなたは世界だ