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2010-06-30

思考は愛ではない

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 思考は、その感情的で感傷的な中身ともども、愛ではない。思考は常に、愛を否定する。思考は記憶にもとづいている。しかるに、愛は記憶ではない。あなたが、誰か自分が愛している人間のことを考えるとき、その思考は愛ではない。あなたは、ある友人の習慣や立ち居ふるまい、性癖のことを思い出し、あなたのその当人との関係における愉快または不愉快な出来事を思い廻らすかもしれないが、思考が呼び起こす心象は愛ではない。思考は、その本性上、分離的なものである。時間と空間、分離と悲嘆の感覚は、思考過程から生まれる。それゆえ、思考過程が終わるときに初めて、愛がありうるのである。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉

2010-06-29

学ぶことと知ること

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 自分自身について学ぶことと、自分自身について知ること、このふたつはまったく別のことです。(ブランダイス大学での講話)


【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ/竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】


あなたは世界だ

2010-06-28

「数分間、黙って静かに坐っていましょうか?」

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 講話も終わりに近づいた頃、彼は言った。「数分間、黙って静かに坐っていましょうか?」それはあたかも彼が信号を送ったような眺めだった。どの聴衆も、床の上に足を組んで坐っていたが、講話の間中そわそわしていたまだ幼い生徒まで、すぐに凍りついたように動かなくなった。1~2分の沈黙のあと、彼がナマステの挨拶で手をあげると、生徒たちは我先に立ち上がり、声高くおしゃべりしながら四散してしまった。


【『キッチン日記 J.クリシュナムルティとの1001回のランチ』マイケル・クローネン/高橋重敏訳(コスモスライブラリー、1999年)】


キッチン日記 J.クリシュナムルティとの1001回のランチ

2010-06-27

生それ自体が教師である

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 学ぶとはどういうことか、知っていますか。本当に学んでいるときには、一生を通して学んでいて、特に学ぶ教師はいないのです。そのときには、あらゆるものが教えてくれるのです。枯れ葉、飛んでいる鳥、香り、涙、豊かな者と貧しい者、泣いている人、女の微笑み、男の傲り。君はあらゆるものに学びます。そのために、指導者も思想家も導師(グル)もいないのです。生それ自体が君の師で、君は絶えず学んでいる境地にいます。


【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ/藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】


子供たちとの対話―考えてごらん (mind books)

2010-06-26

兵士、警官、法律家という三つの職業

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 ある人類学者から聞いた話ですが、二、三千年前、ある政治家がこう言ったそうです。「これが最後の戦争になってほしいものだ」。しかるに、われわれはなおそれをしているのです。思うに、われわれは本当は武器を欲しているのです。武器や勲章、敬礼、飲酒、殺人といったすべてを慰み物にしているのです。なぜなら、われわれの日常生活がそうだからです。われわれは、自分の貪欲によって、搾取によって、他人を破壊に追いこんでいるのです。富裕になればなるほど、それだけ他人を搾取するのです。われわれはこういったすべてを好み、そしてまた富裕になろうとしています。兵士、警官、法律家という三つの職業が社会で幅をきかせているかぎり、文明は運命づけられるのです。そしてこれこそはインド、さらには世界中で起こっていることです。これら三種の職業はますます強固になりつつあります。皆さんは自分のまわり、および自分の内部で何が起こっているか、どんな破局を準備しているかご存じないのです。皆さんがしたいことはただ、その日その日をできるだけすみやかに、かつ愚かしく、またばらばらに過ごすことであり、そして自分の生の方向を政府政治家、滑稽な人間たちの判断に委ねてしまうのです。


【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモスライブラリー、2000年)】


クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性

2010-06-25

自己探求は膨大なエネルギーを必要とする

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 その注目すべき本『怠惰礼賛』のなかでバートランド・ラッセルは、労働時間を週4時間に減らすべきだと示唆している。彼の見込みでは、それによって人は生活必需品と基本的安定が与えられるはずであり、「それ以外の時間は、彼がふさわしいと見なす用途にあてられるべき」なのだ。もしこの素晴らしい提案が実施されたら、人はもはや一日の終わりに疲労を感じないかもしれない。自己探求は膨大なエネルギーを必要とするという事実を見逃さないようにしよう。もしより多くの余暇ができたら、われわれはプシケのより一層の探究のため、倍加したエネルギーでもってわれわれ自身の内部へと突き進むことができるのではないだろうか?


【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)】


気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える

2010-06-23

オルダス・ハックスリー「仏陀の説法を聴いているかのようであった」

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 1961年の初めての夏、わずか350名ほどしか収容できないザーネンのランドハウス(公民館)で、彼のために小さな集会が企画された。小規模だったにもかかわらず、そこで彼が行った講話には、19の異なる国々の人々が参加した。カリフォルニアで知り合っていたクリシュナムルティの偉大な友、オルダス・ハックスリーも、偶然その夏グスタートに滞在しており、彼の話を数回聴きに行っている。8月6日に行われた講話を評して、ハックスリーは次のように書いている。

「……それは今まで聴いた中で最も印象に残る話の一つであり、仏陀の説法を聴いているかのようであった──あのような力で、あのようなもって生まれた威信で、あのように妥協なく、【官能的な凡人】が導師(グル)や救世主や指導者や教会に依存するのを拒むとは。『あなたがたに悲しみと悲しみの終焉を示しましょう』──そして、もし悲しみを終わらせるための条件を満たそうとしないなら、どんな導師(グル)、教会などを信じようとも、悲しみが続くことを覚悟することだ」(序文)


【『ザーネンのクリシュナムルティ』J・クリシュナムルティ/ギーブル恭子訳(平河出版社、1994年)】


ザーネンのクリシュナムルティ

2010-06-22

私たちは実は自由になりたくない

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質問者●あなたは、われわれインド人が独立を獲得したのだということを考慮していないように思われます。あなたによれば、真の自由とはどのような状態なのですか?


クリシュナムルティ●自由が民族(国家)主義的なものであるとき、それは孤立になるのです。そして孤立は必然的に葛藤に帰着します。なぜなら、なにものも孤立して存在することはできないからです。「ある」ことは関係することであり、そしてただいたずらに国境の内側で自分自身を孤立させていれば、いやおうなしに混乱、悲嘆、葛藤、戦争を招かざるをえません──これは何度も何度も証明されてきたのです。そのように、他からの別個の国家としての独立は必然的に葛藤、戦争に帰着するのです。なぜなら、私たちのほとんどにとって、独立は孤立を意味しているからです。そして皆さんが国家という存在としての自分自身を孤立させたとき、皆さんは自由を得たのでしょうか? 皆さんは搾取からの自由、階級闘争、飢餓、異宗教間の衝突からの自由、司祭宗教的・人種的団体間の争い、指導者たちからの自由を得ましたか? 明らかに得ませんでした。皆さんはたんに白い皮膚の搾取者たちを追い出し、代わりに浅黒い──たぶん、もう少し冷酷な──搾取者たちをかれらの後釜に坐らせただけなのです。私たちはあい変わらず以前と同じものを持ち、同じ搾取、同じ司祭、同じ組織宗教、同じ迷信、そして同じ階級闘争をかかえています。で、これらは私たちに自由を与えたでしょうか? そう、私たちは実は自由になりたくないのです。ごまかさないようにしましょう。なぜなら、自由は英知、愛を意味しており、それは搾取しないこと、権威に屈従しないこと、並外れて廉直であることを意味しているからです。先ほど言いましたように、独善は常に孤立化していく過程なのです。なぜなら、孤立と独善は相伴うからです。これに反して、廉直と自由は共存するのです。主権国家は常に孤立しており、それゆえけっして自由ではありえないのです。それは、絶えざる紛争、猜疑、敵意そして戦争の原因なのです。(ボンベイ1948年3月7日)


【『自由とは何か』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1994年)】


自由とは何か

2010-06-21

集団とはあなたであり私である

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 私たちは自分のまわりに混乱、不幸、ぶつかり合う願望を見、そしてこうした混沌とした世界の現実に気づいて、真に思慮深くて真摯な人々──絵空事をもてあそんでいる人々ではなく、本当に真剣な人々──は、当然ながら行動という問題を考究することの大切さがわかるでしょう。集団行動があり、また個人行動があります。そして集団行動は一個の抽象物、個人にとって好都合の逃避となっています。つまり、この混乱、たえず起こっているこの不幸、この災いは集団行動によって何とか変えることのできる事態であり、それによって秩序を回復できると思うことによって、個人は無責任になるのです。集団というものは、間違いなく虚構の実体です。集団とは、あなたでありそして私なのです。


【『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1993年)】


瞑想と自然

2010-06-20

あらゆる宗教の唱える決まり文句

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 あらゆる宗教は常にこう言ってきました。あるのは自分たちの道、自分たちの救世主、自分たちの方式、自分たちの信条、自分たちの儀式だけであり、それらによってのみ私たちは救済されるでしょうと。それがあらゆる宗教の唱える決まり文句だったのです。が、もう何年も前のことですが、たまたま私は真理に至る道はないと言明したのです。まさにそのとおりだからです。真理へと至る道はないのです。彼らによれば真理は固定した地点にあり、そしてもしそうなら、真理に至る道を好きなだけ持つことができるでしょう。が、もしもそれが固定した地点にはなく〔空間的に縛られておらず〕、生きているもの、動いているもの、運動体であり、また、ある意味で時間的にも縛られていなければ、話は違ってきます。そうであれば、当然ながらそれに至る道はないからです。しかし、私たちはそのような危険なものの見方を望みません。私たちはあらゆるものが固定していること、最終的であることを望むのです。


【『変化への挑戦 クリシュナムルティの生涯と教え』J・クリシュナムルティ柳川晃緒〈やながわ・あきお〉訳、大野純一監訳(コスモスライブラリー、2008年)】


英和対訳 変化への挑戦―クリシュナムルティの生涯と教え

2010-06-19

感化、固執、脅し、言葉たくみな激励、あるいは微妙な形の報いによる強制

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 探求し学ぶことは精神の働きである。しかし私のいう学びとは、たんなる記憶力の養成や知識の蓄積ではなく、信念や理想からではなく事実から出発して、幻想にとらわれずに明晰かつ健全に考える能力を意味する。もし思考が結論から起これば、学びはない。単なる情報や知識の獲得は学びではない。学びとは理解することを愛し、ものごとをそれ自体のために行なうことを愛することを含蓄している。学びは、一切の強制がないときにだけ可能である。そして強制は、さまざまな形をとるのではないだろうか? 感化、固執、脅し、言葉たくみな激励、あるいは微妙な形の報いによる強制があるのだ。


【『未来の生』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1989年)】


未来の生

2010-06-18

狂った世界に適応させることが教育なのか?

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 世界で、何が起こっているか知っているだろうか。現在のいろいろな出来事を、気をつけて調べてみなさい。戦争や反乱が次次に起こり、国と国とがお互いに対立しあっている。この国にも、差別や分裂があり、人口は増加の一途をたどり、貧しさ、不潔さ、そして完全な無感覚と冷淡さがはびこっている。自分が安全ならば、ひとに何が起ころうといっこうに気にしない。そして、君たちは、こういうことがすべてに合わせていけるよう教育されているのだ。世界が狂っているということ──お互いに争い、けんかし、いじめ、おどし、苦しめ、攻撃しあうということすべては、狂気なのだということが、わかっているだろうか。で、君たちは、それに合わせていけるように成長するというわけだ。それは、正しいことなのだろうか。社会と呼ばれるこの狂った仕組みに、君たちが進んで、あるいはいやいやでも適応するようにすること、それが教育の目標なのだろうか。それから、世界中の宗教に何が起こっているか、知っているだろうか。この分野でも、人間は腐っていこうとしているし、誰も何一つ信じてはいないのだ。人間は、何の信仰も持ってはいないし、宗教とは単なる大がかりな宣伝の成果にすぎなくなっている。


【『英知の教育』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1988年)】


英知の教育

2010-06-17

自らの歪んだ姿

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 苦悶する心、打ちひしがれた心、すべての混乱からの脱出を希求する心、外的世界を否定し戒律と服従によって不活発になった心──このような心の持主はどんなに長期間にわたって求道の生活を続けたとしても、とどのつまりはみずからの歪んだ姿に対応するものしか見出すことができない。


【『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ著、メリー・ルーチェンス編/十菱珠樹〈じゅうびし・たまき〉訳(霞ケ関書房、1970年)】


自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法

2010-06-16

2種類の反逆

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 反逆といっても実は2種類ある。まず暴力的な反逆ということ──これは何もわからずに現存の秩序に対してただ反抗するだけのものである。次に、知性の根源における精神的反逆というものがある。(この二つは区別しないといけない) 既成の権威に反抗しても、それが新しい権威になり、幻想とかくれた自己満足だけのものになってしまっている大勢の人々を、私たちは見かけている。つまり通例起こることは、私たちがある集団や理念と手を切っても、今度は別の集団と理念につながっていくということなのである。こういう仕方は、ちょっとした新しい思想形態をつくり出すだけで、やがてこの新しいものに対しても反逆することが始まるということである。たんなる反動は反対を生み、この種の改革は安らぐところを知らない。


【『道徳教育を超えて 教育と人生の意味』クリシュナムーティ/菊川忠夫、杉山秋雄訳(霞ケ関書房、1977年)】


道徳教育を超えて 教育と人生の意味

2010-06-15

危険な世界

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 この世界に人間が持ち込んでいる危険とは、心の中にある暴力の結果であり、恐怖の産物なのです。


【『自由への道 空かける鳳のように』クリシュナムーテイ/菊川忠夫訳(霞ケ関書房、1982年)】


自由への道 空かける鳳のように

2010-06-14

世界中の人間は囚人である

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 そのように、あなた方の目には世界中の人間が囚人として見えてきます。彼自身の創造物、彼自身がこしらえ上げたものの壁の内側に閉じ込められた囚人として。そしてこれらの囲い、これらの環境の壁を通じて、彼の観念、野心、切望の制限を通じて、彼は人生を営もうとし、時には成功を収め、時にはひどい苦汁をなめるのです。そして監獄の中で自分自身を居心地よくさせることに成功する人のことを私たちは「成功者」と呼び、一方、監獄の中で負ける人のことを「失敗者」と呼ぶのです。が、成功も失敗もともに監獄の壁の内側でのことなのです。

 さて、あなた方が社会をそのように見てみる時、あなた方はその制限、その囲いの中にあるのを見ます。では、その人間、その個性(individuyality)とは何なのでしょう? 彼の環境とは何であり、彼の行動とは何なのでしょう? それが、今朝私が話してみたいことです。(カリフォルニアのオーク・グローブでのトーク、1934年


【『片隅からの自由 クリシュナムルティに学ぶ』大野純一著編訳(コスモスライブラリー、2004年)】


片隅からの自由―クリシュナムルティに学ぶ

2010-06-13

瞑想は途方もなく活発な静謐である

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 しかし あなたが

 思考のあらゆる動き──

 つまり それがどのように条件づけられ

 なにを追いもとめ なにを恐れ

 なにを楽しみにしているか ということを

 たんねんに調べ 観察し

 それらに耳を傾けるようになり

 頭がどのようにはたらいているかを

 見まもるようになると

 頭がおどろくほど静かになってゆくことに

 気づくでしょう

 その静まりは

 眠りではありません

 とほうもなく活発で

 だからこそ 静まっているのです

 頭は 発電機のように

 摩擦があると 騒音をだしますが

 完璧に動いているときには

 ほとんど音をたてず

 静かになります


【『瞑想』J・クリシュナムルティ/中川吉晴訳(UNIO、1995年)】


瞑想

2010-06-12

瞑想は何かを成就することではない

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 瞑想において大切なことは、精神と心の質である。肝要なことは何かを成就することでも、あるいはめざす何者かになることでもなく、天真らんまんでしなやかな精神のあり方である。否定を通じて肯定的な状態が現われる。ただいたずらに経験を蓄積し、経験によって生きていては、瞑想の純粋さは生まれない。瞑想は目的のための手段ではない。瞑想は手段であり同時に目的である。精神は経験によっては決して天真らんまんたりえない。経験を否定することによってはじめて、思考によっては生み出すことのできない天真なる状態が現われる。


【『クリシュナムルティの瞑想録 自由への飛翔』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(平河出版社、1982年/サンマーク文庫、1998年)】


クリシュナムルティの瞑想録―自由への飛翔 (mind books)

2010-06-11

クリシュナムルティの語調

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 声は人間の最も重要な部分であり、誰の声であろうとそれを紙に移しかえるのは不可能である。Kの語調は捕えることができるかもしれないが、彼がある語や句に託す力強さや火、熱狂、真剣さ、緊急性、そして彼の全存在からほとばしり出る情熱は移すことのできないものである。


【『クリシュナムルティ・開いた扉』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1990年)】


クリシュナムルティ・開いた扉 クリシュナムルティの生と死

2010-06-10

「無慈悲」と「暴力」が社会の道徳である

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 しかしあなたは、非常に高潔であられるのではないだろうか?

「そうあろうと努めています」

 社会の美徳は死に行き着く。自分の美徳を意識することは、体面で固まって死ぬことである。外面的および内面的に、あなたは社会道徳の規則に適合しておられるのではないだろうか?

「われわれの大部分がそうしなければ、社会の全構造が土台からくずれてしまうことでしょう。あなたは、道徳的無秩序(アナーキー)を説いておられるのですか?」

 そうだろうか? 社会道徳は、単なる体面にすぎない。野心、貪欲、達成とその認知のうぬぼれ、権勢と地位の無慈悲、イデオロギーや国家の名における殺人――これが社会の道徳である。


【『生と覚醒のコメンタリー 4 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー〈4〉クリシュナムルティの手帖より

2010-06-09

無限の生

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 が、〈生〉はいかなる制限も持たないのです。(1928年ロンドンでのインタビュー)


【『白い炎 クリシュナムルティ初期トーク集』J.クリシュナムルティ/大野純一訳(コスモスライブラリー、2003年)】


白い炎―クリシュナムルティ初期トーク集

2010-06-08

思考は存続の過程

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 存続するために、われわれは考えることを強いられる。思考は存続の過程なのだ。それが個人のであれ、あるいは国家のであれ、思考すること、すなわちその最も低い、あるいは最も高い形での願望は、常に自己閉鎖的で、条件づけるものでなければならない。われわれが宇宙について考えようと、われわれの隣人たちのこと、われわれ自身のこと、あるいは神について考えようと、われわれのすべての思考は、限られており、条件づけられているのではないだろうか?


【『生と覚醒のコメンタリー 3 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー〈3〉クリシュナムルティの手帖より

2010-06-07

党派性のもとで方式が重要になり人間は無視される

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 あなたは、混乱や、正確に【あるがままのもの】を意識するとすぐに、そこから逃げだそうとします。しかしここで問題になるのは、経済的、社会的、あるいは宗教的な苦悩を解決する方式を提供している様々な党派です。この党派の存在が最も危険なものなのです。なぜなら、それが宗教的な方式であっても、また左派や右派のものであっても、いずれも、人間ではなく【方式】が重要なものになってしまうからなのです。方式が重要になるということは、その哲学や観念が重要になるということなので、その場合、人間は無視されるのです。その思想やイデオロギーのために、私たちは進んで人類を犠牲にしようとしています。こういうことが、今この世界で起こっています。これは単なる私の解釈ではありません。良く観察すれば、全くその通りだということにあなたはお気づきになるでしょう。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】


自我の終焉―絶対自由への道

2010-06-06

ロビンソン・ジェファーズ「彼の人柄に感銘した」

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(ロム・)ランドー(著述家)が(ロビンソン・)ジェファーズ(詩人)に、Kの教えは大衆的になるだろうかと訊ねたところ、ジェファーズは「今は無理だ。たいていの人々は理解できないだろう」と答えている。「彼に会って何にいちばん感銘したか?」というランドーの質問に対する答えは、「彼の人柄だ」であった。「私の家内は、クリシュナムルティが入って来ると光が部屋にさしてくるように思えたとよく言ったが、私も同じ思いだった。なぜなら、彼自身が彼の率直な教えの最も確かなあかしだからだ。私にとっては、彼の話が上手だろうと下手だろうと関係はない。何も話さなくても彼の影響を常に感ずるのだ……。彼が常に話している真理や幸せを伝播してくれるのは、彼のたいへんに楽しい個性なのだ」。ジェファーズはさらに、言葉で皆に理解できるものになったとき、彼の教えは円熟期に入るだろうとも言っている。


【『クリシュナムルティ・実践の時代』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)】


クリシュナムルティの生と死

2010-06-05

「私を権威に祭り上げてはならない」

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 私をひとつの権威にまつりあげてはなりません。もし私があなたにとって必要欠くべからざるものとなったら、私が去ってしまったときあなたはどうしますか? ……私はあなたがたに、あなたがたを自由にする飲み物を与えることができ、あなたがたを解放する手段を与えることができる、と考えている人がいます――そうではありません。私は扉になることはできます。しかしあなたがたはその扉を通り抜け、その向こうにある解放を見出さなければなりません。……真理は、あなたが最も予期せぬときに盗人のようにやって来ます。新たな言葉を創り出せればよいのですが、それができないので、私はあなたがたの古い文体や概念を破壊したいのです。誰ひとり、あなたを解放することはできません。あなたはそれを自分の中に見つけなくてはならないのです。しかし私は見つけたので、あなたにその道を示しましょう。(星の教団時代の講話)


【『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス/高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)】


クリシュナムルティ・目覚めの時代 クリシュナムルティの生と死

2010-06-04

過去の継続は機械的な行為となって繰り返される

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 善性は行為にあらわれます。私たちは行為と行動とを区別しなければなりません。おそらくこの両者は同じものなのでしょうが、はっきりさせるためには、分けて検討しなければなりません。正しく行為することは、もっとも困難な行ないのひとつです。それは大変複雑ですので、焦らないで、また何らかの結論に飛躍しないで、とても綿密に検討しなければなりません。

 日常生活では、行為は過去からの連続した動きですが、たまに新しい一連の結論によって行為が変わることもあります。すると、これらの結論は過去のものとなり、今度はそれに従って行為します。人は、〈先入観〉や〈理想〉に従って行為します。ですから、人はいつも〈蓄積された知識〉から行為するわけですが、蓄積された知識は〈過去〉のものです。あるいはまた、人は理想的な〈未来〉、すなわちユートピアを拠り所にして行為します。


 私たちはそのような行為を、正常なものとして受け入れます。しかし本当にそうなのでしょうか?

 私たちは行為がなされたあとで、あるいは行為する前に、行為について問います。けれどもこの問いは、〈あらかじめもっている結論〉に、あるいは〈未来の報酬や罰〉に基づいたものでしかありません。つまり、「これをすればあれを手に入れられるだろう」などといったものです。それだからこそここで、受け入れられている行為の観念全体について、問うているのです。

 行為は、知識や経験を蓄積した後で、行なわれます。あるいは、私たちはまず行為し、その行為から「楽しい」とか「不愉快」だとかを学びます。そしてこの学習が、再び知識の蓄積になります。したがって、このどちらの行為も、共に知識に基づいているのであり、両者に違いはないのです。知識はいつも過去であり、私たちの行為はいつも機械的なのです。

 機械的でない、繰り返しでない、型にはまっていない、したがって後悔のない行為はあるのでしょうか? 自由があり、善性が開花するところ、行為が機械的になりえないところについて理解することは、本当に重要です。

 書くことは機械的です。言語を学ぶこと、車を運転することも機械的です。どのような種類であっても、技術的な知識を獲得すること、そしてその知識に従って行為することは機械的です。また、この機械的な活動のなかに中断があるかもしれず、その中断においてひとつの新しい結論がつくられるかもしれません。けれどもそれは再び機械的になるのです。(15th September 1978)


【『学校への手紙』J・クリシュナムルティ/古庄高〈ふるしょう・たかし〉訳(UNIO、1997年)】


学校への手紙

2010-06-03

沈黙を締め出すことはできない

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 物音は終わる。しかし沈黙は浸透していき、そして終りがない。人は音を遮断することはできる、しかし沈黙には囲いはない。どんな壁もそれを締め出すことはできない。それに対する抵抗のすべはない。騒音はあらゆるものを締め出す。それは排他的で、孤立的である。沈黙は、あらゆるものをそれ自身の内側に包摂する。沈黙は、愛のように不可分である。それは、音と沈黙との区分を持たない。精神は、それについて行くことも、あるいはそれを受け入れるべく静められることもできない。静め【られる】精神は、単にそれ自身のイメージを反映できるだけであり、そしてそれらはその遮断において鮮明であり、騒がしい。静められる精神は、単に抵抗できるだけであり、そしてあらゆる抵抗は擾乱である。静め【られた】のではなく、静謐(せいひつ)で【ある】精神は、常に刻々に体験している。思考、言葉は、そのとき、沈黙の外側ではなく、その内側にある。不思議にも、この沈黙においては、精神は静かである。形成されたものではない静謐さでもって。静謐は売り物にはならない。そして無価値であり、そして使うことはできない。それは純粋なもの、ただひとりあるものの性質を備えている。使用できるところのものは、すぐにすり減る。静謐は、始まることも終わることもない。そしてかくのごとく静謐な精神は、それ自身の願望の反映ではない至福に気づくのである。


【『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

2010-06-02

〈私〉こそが重要だ

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B――それが最も重要に思われるのです。もちろん。


S――最も重要なのです。


B――そうです。人々は、もし自分がみじめなら、全世界が無意味だと言うのです。違いますか。


S――それだけではありません。〈私〉が最も重要なら、私はみじめです。


K――いや。〈私〉のなかに最大の安定がある、とわれわれは思いこんでいるのです。


S――たしかに、それがわれわれの考え方です。


K――いや、われわれの考えていることではなく、事実そうなのです。


B――事実そうだとは、どういう意味ですか。


K――それがいま世界で起こっていることだからです。


B――それが、まさに起こっていることです。しかしそれは思い違いです。


K――そのことはあとで触れるでしょう。


S――それは良い着眼点だと思います。たしかに、〈私〉【こそ】が重要だということ――私はこの把握の仕方が気に入りました――。これは事実そのとおりです。それが万事です。


K――心理的に。


B――心理的に。


S――心理的に。


K――〈私〉、私の国、私の神、私の家。


S――あなたの言わんとするところがわかりました。


【『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ/大野純一、聖真一郎〈ひじり・しんいちろう〉(平河出版社、1986年)】


生の全体性

2010-06-01

静謐さはあるがままの実相を理解することによって生まれる

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 うわさ話は、落ち着きのない精神の表現であるが、しかしただ単に黙して語らないことは、静謐な精神の徴(しるし)ではない。静謐さは、禁欲や克己をもってしては生まれない──それは、【あるがまま】の実相を理解することによって生まれるのである。あるがままを理解するには、即座の気づき(アウェアネス)が必要である──なぜならば、あるがままの実相は、決して静止していないからである。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉