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クリシュナムルティの智慧 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-03-03

なぜ神は全知全能なのか?

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 プシケをあらゆる種類の条件づけから全面的に解放するうえの最大の障害の一つは、精神が、絶対者の性質に関するじつに多くの「神聖な」形容詞を維持しつづけているという事実である。『コーラン』だけでも、アラー、つまり神への99とおりの異なった名称が出てくると推計されており、ほかの宗教伝承には無数の記述的名称が見出されることは言うまでもない。『コーラン』からのそのような名称の一つは、「アル・アリム(全知者)」である。が、なぜ絶対者は全知であると見なされるべきなのだろう?

 なぜ人は、キリスト教徒がそうであるように、絶対者は全能という属性をもつと信じるべきなのだろう? 思うに、神を見出すのは牽制感覚に満ちた精神ではなく、無私にして非主張的な精神なのではないだろうか? エゴは、権勢欲と栄光への飽くことを知らない願望の持ち主である。「私」は、たえず力を行使することによってその重要性を主張する。力に飢えた精神でもって、人間は神を憶測する。それゆえ彼の抱く神の観念は、彼自身の力への渇望の正確な複製(レプリカ)になる。それゆえ、神は「全能」だと彼が言明してもなんら驚くにはあたらない。神は、力を暗示する名前を与えられたのだ! 何度も何度も人は、神に帰せられた特性がわれわれ自身の心理的要求に関わっていることに気づく。


【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)】


気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える