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2010-08-01

学びとは不断の過程

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 学びというのは、不断の、蓄積しない過程であり、「自分自身」というのはつねに変化しつづけるもの、新たな考え、新たな感覚、新たなかたち、新たなヒントです。


【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ/竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】


あなたは世界だ

2010-06-29

学ぶことと知ること

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 自分自身について学ぶことと、自分自身について知ること、このふたつはまったく別のことです。(ブランダイス大学での講話)


【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ/竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】


あなたは世界だ

2010-05-31

私はいつなにかを「知る」のでしょう?

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「自分自身」というのはもはや使い古しです。

 人は、その専門家フロイトであろうとだれであろうとかまわないのですが、とにかく他の人から教えられたことを繰り返すだけなのです。

 自分自身を知りたいなら、専門家の目を通して見ることはできません。

 直接自分自身を見なければならないのです。

 いったいどうしたら、「観察者」であることなく自分自身を知ることができるでしょうか?

「知る」ということばで、私たちはなにを意味しているのでしょう?

 ことばのあら探しをしているわけではないのですが――「知る」「知ること」ということばで、私たちはなにを言おうとしているのでしょうか?

 私はいつなにかを「知る」のでしょう?

 私はサンスクリット語を「知っている」、ラテン語を「知っている」と言います。あるいは、私の妻や夫を「知っている」と。

 言語を知ることは、妻や夫を「知ること」とはちがいます。

 私は言語を知るために学びますが、いったい私が妻を――あるいは夫を――知っていると言えるでしょうか?

 私が妻を「知っている」と言うとき、それは私が妻に関するイメージをもっているということです。ですが、そのイメージというのはつねに過去のものなのです。

 そのイメージのせいで、私は妻を見られなくなってしまうのです。

 彼女はすでに変わっているかもしれません。

 だとしたら、私はいったい「知っている」と言えるでしょうか?(ブランダイス大学での講話)


【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ/竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】


あなたは世界だ

2010-04-20

「昨日」は「観察者」である

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 別の言い方をしてみましょう。

 人は過去に生きています。あらゆる知識は過去のものです。

 人はそこ、起こったことのなかで生きます。

 人生は起こったことのなかにあるのです――「私であったもの」と、そこから生ずる「私がなるであろうもの」とのかかわりをもつ起こったことのなかに。

 人の生というのは、本質的に昨日に基づいているのですが、「昨日」というのは、私たちを感受性の鈍いものにし、私たちから汚れのなさや感じやすさという能力を奪うのです。

 ですから「昨日」は「観察者」なのです。

「観察者」のなかには、意識はもちろんのこと、無意識からなるあらゆる層もあります。

 人類全体が、私たちひとりひとりのなか、意識と、より深い層である無意識双方のなかにあるのです。

 人というのは何千という年月の結果です。

 私たちひとりひとりのなかに深くとどめられたその年月とは――そのなかを探り、そのなか深くに入りこむ方法を知っていれば見いだせるように――過去の全歴史、全知識なのです。

 だからこそ、自己認識が非常に重要なのです。(ブランダイス大学での講話)


【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ/竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】


あなたは世界だ

2010-03-26

即時の変化

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「観察者」が「観察されるもの」であるとき、葛藤はやみます。

 これは、まったくふつうに、きわめてたやすく起こることです。たとえば、大きな危険があって、「観察されるもの」とは別ものである「観察者」がいっさい存在しないような状況では。

 そこには即時の行為、行為による即時の応答があるのです。

 人生で重大な局面にあるとき――人はつねに重大な局面を避けて通るものですが――そのことについて考えている暇はありません。

 そのような状況では、古いものの記憶のいっさいを抱えた頭脳はすぐには応答しないのですが、にもかかわらず即時の行為があるのです。

「観察されるもの」からの「観察者」の分裂がなくなると、心理的、内的に即時の変化があるのです。(ブランダイス大学での講話)


【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ/竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】

2010-03-04

「観察者」を観察する

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 観察されるものとは別のものとして、「観察者」を観察したことがありますか?

 このことを深く探らなければ、これから述べるようなことは見逃されてしまうでしょう。

「観察者」と「観察されるもの」とのあいだに分裂があるかぎり、葛藤があります。

 イメージ、知識、去年の秋の色どりなどについての記憶をともないながら精神のなかに入りこむ、空間的、言語的分裂が「観察者」を生みだし、また観察されるものからの分裂が葛藤なのです。

 この分裂を引き起こすのは思考です。(ブランダイス大学での講話)


【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ/竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】

2010-02-14

分析は変化を阻む

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 なぜ人はこれほどまでに暴力的なのか、怖れでいっぱいなのか、こんなにも貪欲で、競争的なのか、こうまでひどく野心的なのでしょうか。

 分析によってその原因を見いだすことはかなりたやすいことですが、それで変化が引き起こされるでしょうか?

 明らかに無理です。

 そのことによってでも、動機を見つけだすことによってでもです。

 だとしたら、なにが変化を引き起こすのでしょう?

 いったいなにが、徐々にではなくただちに、心理的な革命を引き起こすのでしょうか?

 私には、それこそ唯一の問題の核心に思えるのです。

 分析――専門家による分析、あるいは内省的な分析――は、問題への答えとはなりません。

 分析には時間がかかります。

 たいへんな洞察を必要とします。

 誤った分析をすれば、あとにつづく分析もまちがってしまいます。

 もしもあなたが分析してある結論に達し、その結論から先へ進むのであれば、あなたはすでに妨害され、障壁に囲われています。

 さらに分析には、「分析者」と「分析されるもの」という問題があるのです。

 動機づけや、分析して原因を発見することによるのでもないとしたら、ラディカルな、根本的な変化は、いったいどうやって心理的、内的に引き起こされるのでしょうか?

 人がなぜ怒っているのか理由を見いだすことはたやすくできますが、それで怒りがしずまるわけではありません。

 戦争の引き金となるような原因を見いだすことはできます。経済的、国家的、宗教的な原因、あるいは政治家たちのプライド、イデオロギー公約などなどといったように。

 それでも私たちは互いに殺しあいつづけるのです。神の名において、イデオロギーの名において、国家の名において、ともかくなにかの名において。

 この5000年のあいだに15000もの戦争が起こっているのです!

 それでもいまだに、私たちはなんの愛も、なんの慈悲もないのです!(ブランダイス大学での講話)


【『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ/竹渕智子〈たけぶち・ともこ〉訳(UNIO、1998年)】