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クリシュナムルティの智慧 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-05-22

頭脳労働と肉体労働

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 思考活動をあまりともなわない、反復的で機械的な類の肉体労働を行なう人々は、彼らの精神エネルギーの全部ではないまでも多くを自己観察にあてる機会をもつという意味で、たぶんより恵まれている。他方、たえず精神集中が要求される仕事に就いている人は、彼の全面的注意を自己観察に払うことがより困難であることを見出すかもしれない。これは、精神がその注意を一度に一つのことにだけしか集中できないからである。それゆえ頭脳労働者は、ときどき思い出したようにしか自己観察ができない。たとえば、講義を聞き、その内容を理解し、ざっとメモ書きしたりしながら、同時に自分の心理的過程を観察するといった一定の行動を行なうことは、いささか緊張するだろうが、不可能ではない。


【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)】


気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える

2010-04-16

精神の奥底を深く調べる

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 精神の奥底を深く調べることに熱心な人は、むさくるしい事務所や工場で働いているときだろうと、単純に余暇を楽しんでいるときだろうと、ゆったりした歩調で山歩きをしながら、あるいは鳥の鳴き声を聞き、雲や木々の美しい眺めに満悦しながらであろうと、状況のいかんを問わず、調べつづけるだろう。他方、労働者は、日常生活のストレスにより多く曝され、神経系を痛めつけられるかもしれないが、しかしなお彼はあらゆる種類の状況に対する彼の心理的反応を観察することができる。登山者が、自然に対する自分の心理的反応を、一人きりで、またゆっくりしたペースで観察できるかぎり、彼は労働者よりも幸福と言えよう。


【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)】


気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える

2010-03-21

虚無への恐れ

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 多くの年配の勤め人たちが、自分の差し迫った退職を不安げに待っている。彼らは、余生を自分の精神の本質的な無とともに生きなければならないという見通しにぞっとするのだ。彼らの大半は自分の危惧をそのように表明しないが、しかしなお彼らは漠然と虚無の存在に気づいている。多くは「虚無」という言葉を使わないが、しかしそれについての彼らの恐怖は明白に現われる。なぜなら、彼らが虚無の現われにほかならない孤独と退屈の苦痛と恐怖のことを訴えるとき、彼らは遠まわしながらこの空しさに言及するからである。


【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)】


気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える

2010-03-01

自分の暴力性を観察する

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 非暴力という「あるべき」状態の概念は、すでに説明したように事実無根である。なぜならそれは、精神によって投影されたものだからである。もし私が、この特定の理想だけではなく、理想という理想をすべて追求することのまったくの虚偽と不毛を見抜くことができさえすれば、そのときには突然、私は全注意を傾けて「あるがままの状態」を観察することができるようになる。精神が理想を脱ぎ捨て、気を散らさなくなるとき、それはついに内なる暴力を正直に知覚する。精神がもはや逃避せず、暴力の存在を認め、そしてその状態を完全に理解するとき、暴力はひとりでに消え去ってゆくのではないだろうか?


【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)】


気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える

2010-02-09

「非暴力」は暴力的な精神によって発明された理想

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 憎悪に満ちた精神は、真に非暴力的な状態の最高の顕現である慈悲心を知ることはできない。暴力的な精神は、「想像された」非暴力の状態を憶測し、理論づけることができる。それゆえ、暴力的な精神によって発明された理想は、表向きはいかに気高く見えようと、必然的に架空のものである。そのうえ、怒った人が非暴力の理想に固執するとき、彼の怒りは本当に消えるのだろうか、あるいは衰えることなく持続するのだろうか? 起こることはむしろ、「理想」が彼の怒りという事実を隠蔽するのを助けてしまうということである。ある場合には、怒りは聖人のような装いのもとに隠蔽される。もし暴力が私の真の本性なら、そのときにはそれが「あるがままの状態」であり、だからそれに充分に直面するほうがはるかに賢明なのではないだろうか?


【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)】


気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える

2010-01-26

「非暴力」は暴力の土壌から生まれた

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 もし人が内面的に暴力から自由でなければ、外面的(すなわち政治的、社会的)な非暴力を説いて何になるだろう?

 正真正銘平和的な人は、けっして非暴力になるべく努力する必要はない。なぜなら彼はすでにあの祝福の状態に生きているからである。そのような人にとって非暴力の理想は、人生にはまったく無関係の、無意味な抽象である。非暴力の理想は、暴力的な精神によってでっちあげられたのだ。その理想はたんに偽りであるだけでなく、不純でもある。なぜならそれは、暴力という不純な土壌で芽生えたからである。


【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)】


気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える

2010-01-16

慈悲と憎悪

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 慈悲心と憎悪は互いに他を排斥するものであり、ゆえに後者を全面的に排除することによってのみ本物の慈悲心が生まれるのである。慈悲心を作為的に培うことはできない。それは、憎悪のすべての痕跡から精神を浄化しゆくにつれて、自発的に咲く花である。


【『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ/大野純一訳(めるくまーる、1993年)】


気づきの探究―クリシュナムルティとともに考える