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2010-08-04

死活問題

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 死活問題があるとき、そのときには注意散漫はない。


【『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

2010-07-02

悟りは「起こる」

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 値うちのあるものごとは、見出されるべきものではない。それらは買い入れることはできない。それらは起こらねばならない。そして不意の出来事は、巧妙にもくろむことはできない。深い意義を持つものはいずれも、常に予期せずに起こるのであって、それは決して引き起こされるものではない、というのが本当なのではあるまいか? 重要なのは、起こることであって、見出すことではない。見出すことは比較的容易だが、しかし不意の出来事は、全く別問題である。それが困難だということではない。しかし、出来事が起こるためには、捜し求め、見出そうとする衝動が、そっくり止まらねばならない。見出すことは、失うことを含蓄している。あなたは、失うためには持たねばならない。所有したり、または所有されていては、決して理解すべく自由ではありえない。


【『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

2010-06-03

沈黙を締め出すことはできない

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 物音は終わる。しかし沈黙は浸透していき、そして終りがない。人は音を遮断することはできる、しかし沈黙には囲いはない。どんな壁もそれを締め出すことはできない。それに対する抵抗のすべはない。騒音はあらゆるものを締め出す。それは排他的で、孤立的である。沈黙は、あらゆるものをそれ自身の内側に包摂する。沈黙は、愛のように不可分である。それは、音と沈黙との区分を持たない。精神は、それについて行くことも、あるいはそれを受け入れるべく静められることもできない。静め【られる】精神は、単にそれ自身のイメージを反映できるだけであり、そしてそれらはその遮断において鮮明であり、騒がしい。静められる精神は、単に抵抗できるだけであり、そしてあらゆる抵抗は擾乱である。静め【られた】のではなく、静謐(せいひつ)で【ある】精神は、常に刻々に体験している。思考、言葉は、そのとき、沈黙の外側ではなく、その内側にある。不思議にも、この沈黙においては、精神は静かである。形成されたものではない静謐さでもって。静謐は売り物にはならない。そして無価値であり、そして使うことはできない。それは純粋なもの、ただひとりあるものの性質を備えている。使用できるところのものは、すぐにすり減る。静謐は、始まることも終わることもない。そしてかくのごとく静謐な精神は、それ自身の願望の反映ではない至福に気づくのである。


【『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

2010-04-23

思考の終焉

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「言い換えれば、あなたは、知恵があるためには思考が終らねばならない、とおっしゃっているわけですね。しかし、いかにして思考を終らせたらよいのですか?」

 いかなる種類の規律、訓練、強制によっても、思考の終焉はない。思考者は思考であり、そして彼は、彼自身に作用を及ぼすことはできない。作用するとしたら、それは単なる自己欺瞞にすぎない。彼は【即】思考であり、彼は思考と別個のものではない。彼は、彼が異なっていると思いこみ、似ていないふりをするかもしれないが、しかしそれは、それ自身に永続性を与えようとする思考の狡猾さにすぎないのだ。思考が思考を終らせようと試みるとき、それは単にそれ自身を強めるにすぎない。どうあがこうと、思考はそれ自身を終わらせることはできない。このことの真理が悟られるときにのみ、思考は終わる。あるがままの真理を見ることの中にのみ自由があり、そして知恵は、その真理の知覚である。あるがままは決して静止的でなく、そしてそれを受動的に注視するためには、あらゆる蓄積物からの自由がなければならない。


【『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

2010-03-29

知識がないときに知恵がある

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「では何が知恵なのですか?」

 知識がないときに知恵がある。知識は連続性を持っている。連続性なしには、知識はない。連続性を持つものは、決して自由ではありえず、新たなものではありえない。終りを持つものにのみ自由がある。知識は、決して新たではありえない。それは、常に古いものになっていく。古いものは、常に新たなるものを吸収し、そしてそれによって力を得ていく。新たなるものがあるためには、古いものがやまねばならないのである。


【『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

2010-03-07

意識は常に過去の過程である

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 われわれは、意識によって何を意味しているのだろうか? いつあなたは意識するのだろうか? 意識は、愉快または苦痛な問いかけ、刺激への反応ではないだろうか? 問いかけへのこの反応が経験である。経験は名づけること、命名、連想である。命名なしには、経験はないのではあるまいか? この、問いかけ、反応、命名、経験の全過程が意識ではないだろうか? 意識は常に、過去の過程である。意識的努力、理解し、蓄積しようとする意志、あろうとする意志は過去の継続である。おそらくは修正された、がしかし依然として過去のものである。われわれが、何かであろう、または何かになろうと努力するとき、その何かはわれわれ自身の投影物なのである。われわれが意識的努力をするとき、われわれはわれわれ自身の蓄積物の騒音を聞いているのだ。理解を妨げるのはこの騒音なのである。


【『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉

2010-02-17

思考は過去の反応であり、理解は現在である

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 理解は過去の過程だろうか、あるいはそれは、常に現在にあるのだろうか? 理解は、現在における行為を意味する。あなたは、理解は刹那においてあること、それは時間のものではないことに気づかなかっただろうか? あなたは徐々に理解するのだろうか? 理解は常に、即座、今、なのではあるまいか? 思考は過去の結果である。それは過去にもとづいている、それは過去の反応である。過去は被蓄積物であり、そして思考は蓄積物の反応である。いかにしてそれでは、果たして思考が理解できようか? 理解は意識の過程だろうか? あなたは、意識的に理解に着手するのだろうか? あなたは、黄昏の美を享受することを選ぶのだろうか?


【『生と覚醒のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈2〉