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クリシュナムルティの智慧 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-08-08

我々の生活は混乱に満ちている

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 私たちの毎日の生活やすべての行為は、常に破壊や悲哀という舞台の上で演じられていることを、私たちは知っています。混乱や混沌が、波のように私たちに襲いかかってきます。しかもこの混乱に満ちた私たちの生活には、幕間もないのです。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】


自我の終焉―絶対自由への道

2010-07-06

方式が重要になってしまった世界は個人を犠牲にする

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 このように【方式】が重要になってしまった世界――方式だけが重視される世界では、人間である【あなた】や【私】は意味を失います。そして宗教でも社会的なものでも、あるいは左派でも右派でも、その方式の監督者が権威を持ち、権力を握り、結局個人を犠牲にすることになるのです。こういうことが、今この世界で起こっているのです。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】


自我の終焉―絶対自由への道

2010-06-07

党派性のもとで方式が重要になり人間は無視される

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 あなたは、混乱や、正確に【あるがままのもの】を意識するとすぐに、そこから逃げだそうとします。しかしここで問題になるのは、経済的、社会的、あるいは宗教的な苦悩を解決する方式を提供している様々な党派です。この党派の存在が最も危険なものなのです。なぜなら、それが宗教的な方式であっても、また左派や右派のものであっても、いずれも、人間ではなく【方式】が重要なものになってしまうからなのです。方式が重要になるということは、その哲学や観念が重要になるということなので、その場合、人間は無視されるのです。その思想やイデオロギーのために、私たちは進んで人類を犠牲にしようとしています。こういうことが、今この世界で起こっています。これは単なる私の解釈ではありません。良く観察すれば、全くその通りだということにあなたはお気づきになるでしょう。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】


自我の終焉―絶対自由への道

2010-04-27

世界の混乱が依存心を強める

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 世界のいたるところで、ますます多くの党派が結成されたり、たくさんの「主義」が引きも切らずに生まれております。なぜかといえば、混乱が増大すればするほど、私たちはますますこの混迷から救い出してくれるような指導者や組織を渇望するからなのです。それであなたは宗教書を求めたり、最も新しい指導者に頼ったりするわけです。さもなければ、左派のものであれ右派のものであれ、とにかく問題を解決してくれそうな一つの方式に従って行動したり反応したりするのです。まさにこういうことが現に起こっています。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】


自我の終焉―絶対自由への道

2010-04-02

心理的な安全を求めるのは逃避である

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 心理的に、またあらゆる面でこの世界に混乱が起きているとき、私たちは銀行預金とかイデオロギーといったような、ある種の安全という囲いで自分を囲ってしまいます。そうでなければ、お祈りをしたり、教会に通ったりします。しかしこのような行為は、現にこの世界で起こっていることから、実際は逃避しているのです。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】


自我の終焉―絶対自由への道

2010-03-11

欲望が無関心を形成する

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 もしあなたがこの世界の苦悩や混沌によって恩恵を受け、そこから経済的、社会的、政治的、あるいは心理的な利益を得ている人間なら、きっと冷淡な反応をすることでしょう。従ってこの混沌が続いても、あなたは何とも思わないことでしょう。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】


自我の終焉―絶対自由への道

2010-02-21

【あるがままのもの】を【あるがままに】観察する

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 ですから、非難もせず、正当化もせず、自己を他のものと同一化もせずに、【あるがままのもの】を【あるがままに】認識したとき、私たちはそれを理解することができるのです。自分自身がある一定の条件と状況のもとに置かれていることを知ることが、すでに自己解放の過程にあるということです。これに反して、自分が置かれている条件や、内なる葛藤を自覚していない人間は、自分とは別の人間になろうとして、その結果、それが習慣になってしまうのです。そういうわけですから、ここで次のことを銘記しておきましょう。私たちは【あるがままのものをあるがままに】考察し、それに偏向を与えたり、解釈を加えたりせずに、実際にある通りのものを観察し、認識したいのだということを。【あるがままのもの】を認識し追及していくためには、きわめて鋭敏な精神と柔軟な心を必要とします。というのは、【あるがままのもの】は絶え間なく活動し、絶えず変化し続けているからなのです。そしてもし精神が、信念や知識というようなものに束縛されていたりすれば、その精神は追求をやめ、【あるがままのもの】の素早い動きを追わなくなってしまいます。【あるがままのもの】は、決して静的なものではなく、厳密に観察してみると分かるように、絶えず活動しているのです。そしてその動きについてゆくには、非常に鋭敏な精神と柔軟な心の働きが必要なのです。ですから精神が静止していたり、信念や先入観に囚(とら)われていたり、自己を対象と同一化してしまっていると、そのような働きが出てこないのです。また干からびた精神や心は、【あるがままのもの】を素早く敏捷に追っていくことができません。


【『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ/根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)】


自我の終焉―絶対自由への道