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クリシュナムルティの智慧 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2010-08-23

心理的な自由

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 で、理解は常に現在においてであって、けっして未来においてではありません。理解はいまであって、来たるべき日々においてではないのです。そして自由、孤立ではない自由は、私たち一人ひとりが全体に対する自分の責任を理解するときにのみ生じうるのです。個人は全体の産物です──彼は別個の過程ではなく、全体の結果なのです。結局、皆さんは全インド、全人類の結果なのです。自分のことをどんな名前で呼ぼうと、皆さんは全体的な過程の結果、すなわち人間なのです。で、もしあなた、心理的なあなたが自由でなければ、いかにして外面的な自由を持つことができるでしょう? 外面的な自由にどんな意義があるでしょう? 皆さんは様々な政府を持つかもしれませんが、しかしそれがはたして自由でしょうか? 誰もが仕事を欲しがっているので、多くの州を持つかもしれませんが、しかしそれが自由でしょうか?


【『自由とは何か』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1994年)】


自由とは何か

2010-07-21

自由は即座の変容にある

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 ですから、自由は全的な過程である個人、集団に対立した存在ではない個人から始まらなければなりません。個人こそは世界の全過程であり、そしてもし彼が自分のことをたんにナショナリズムや独善のなかで孤立させれば、彼は災いと不幸の原因になるのです。が、もし個人──全過程である個人、集団に対立しておらず、集団、全体の結果である個人──が自分自身、自分の人生を変容させれば、そのとき彼にとって自由があるのです。そして彼は全過程の結果なので、彼が自分自身をナショナリズム、貪欲、搾取から解放させれば、彼は全体に対して直接作用を及ぼすのです。個人の再生は未来においてではなく、【いま】起こらなければなりません。もし自分の再生を明日に延期すれば、皆さんは混乱を招き、暗黒の波に呑まれてしまうのです。再生は、明日ではなく【いま】なのです。なぜなら、理解はいまの瞬間にのみあるからです。皆さんがいま理解しないのは、自分の精神・心、全注意を、自分が理解したいと思っているものに向けないからです。もし皆さんが自分の精神・心を理解することに傾ければ、皆さんは理解力を持つことでしょう。もし自分の精神・心を傾けて暴力の原因を見い出すようにし、充分にそれに気づけば、皆さんはいま非暴力的になることでしょう。が、不幸にして、皆さんは自分の精神を宗教的延期や社会道徳によってあまりにも条件づけられてきたので、皆さんはそれを直接見ることができなくなっているのです──そしてそれが私たちの困難なのです。


【『自由とは何か』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1994年)】


自由とは何か

2010-06-22

私たちは実は自由になりたくない

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質問者●あなたは、われわれインド人が独立を獲得したのだということを考慮していないように思われます。あなたによれば、真の自由とはどのような状態なのですか?


クリシュナムルティ●自由が民族(国家)主義的なものであるとき、それは孤立になるのです。そして孤立は必然的に葛藤に帰着します。なぜなら、なにものも孤立して存在することはできないからです。「ある」ことは関係することであり、そしてただいたずらに国境の内側で自分自身を孤立させていれば、いやおうなしに混乱、悲嘆、葛藤、戦争を招かざるをえません──これは何度も何度も証明されてきたのです。そのように、他からの別個の国家としての独立は必然的に葛藤、戦争に帰着するのです。なぜなら、私たちのほとんどにとって、独立は孤立を意味しているからです。そして皆さんが国家という存在としての自分自身を孤立させたとき、皆さんは自由を得たのでしょうか? 皆さんは搾取からの自由、階級闘争、飢餓、異宗教間の衝突からの自由、司祭宗教的・人種的団体間の争い、指導者たちからの自由を得ましたか? 明らかに得ませんでした。皆さんはたんに白い皮膚の搾取者たちを追い出し、代わりに浅黒い──たぶん、もう少し冷酷な──搾取者たちをかれらの後釜に坐らせただけなのです。私たちはあい変わらず以前と同じものを持ち、同じ搾取、同じ司祭、同じ組織宗教、同じ迷信、そして同じ階級闘争をかかえています。で、これらは私たちに自由を与えたでしょうか? そう、私たちは実は自由になりたくないのです。ごまかさないようにしましょう。なぜなら、自由は英知、愛を意味しており、それは搾取しないこと、権威に屈従しないこと、並外れて廉直であることを意味しているからです。先ほど言いましたように、独善は常に孤立化していく過程なのです。なぜなら、孤立と独善は相伴うからです。これに反して、廉直と自由は共存するのです。主権国家は常に孤立しており、それゆえけっして自由ではありえないのです。それは、絶えざる紛争、猜疑、敵意そして戦争の原因なのです。(ボンベイ1948年3月7日)


【『自由とは何か』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1994年)】


自由とは何か