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クリシュナムルティの智慧 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2011-11-08

人はただひとりある

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 火のように、花のように、人はただひとりある。しかし、その純粋さ、その無限の広がりは気づかれない。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉

2011-03-12

単独性(アローンネス)は孤独性(ロンリネス)ではない

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 この単独性(アローンネス)は、うずくような、恐ろしい孤独性(ロンリネス)ではない。それは、存在がただひとりとしてあることであって、不壊(ふえ)なるものであり、豊穣で、完全である。あのタマリンドの木は、それ自身である以外のいかなる存在も持たない。それゆえに、この単独性がある。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉

2011-01-29

幾千人もの人々によって踏みならされてきた道

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 その川の急な堤を昇ってから、緑色の小麦畑のまわりをめぐっている小道を歩いた。この細道は、非常に古い道であった。幾千人もの人々によって踏みならされてきたこの道は、伝統と沈黙にあふれていた。この道は、畑や、マンゴータマリンドの木々、そして廃殿の間をうねり抜けていった。大きな花園が並んでおり、スイートピーの快い香りが空中をにおわせていた。鳥たちは、夜の眠りにつくために巣に帰りつつあった。そして大きな池の上には星々の姿が映りはじめた。その晩、自然は寡黙だった。木々は超然としており、それぞれの沈黙と暗闇の中に引き籠っていた。村人たちがほんの数人、自転車の上でおしゃべりをしながら通り過ぎていった。そして再び、深い沈黙と、あらゆるものがただひとりあるときに訪れる、あの平和があった。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉

2010-12-17

夜の始まり

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 太陽はすでに沈み、暗くなりゆく大空を背景に、木々は黒々と、そして姿よく立っていた。広く、力強い川は、そのとき、おだやかで静かだった。月が、ちょうど地平線上に現われた。彼女は、二本の大樹の間を昇っていったが、まだ影を投げてはいなかった。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉

2010-11-10

思考そのものを理解する

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 肝要なことは、思考そのものを理解することであって、思考によって愛を捕捉しようと試みることではない。思考の否定によっては、愛はもたらさない。思考の深い意義が十分に理解されて初めて、思考からの自由があるのだ。そしてこのためには、空虚で浅薄な主張ではなく、深甚(しんじん)なる自己認識が絶対に必要なのである。反復ではなく瞑想が、定義ではなく気づきが、思考の正体をあばくのである。思考の正体に気づき、そしてそれを刻々に体験し抜かないかぎり、愛はありえない。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉

2010-10-05

愛と思考

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 あなたは、では愛とは何なのか、と問うことだろう。愛は、思考が介在しない存在のありようである。しかし、愛を定義することは、まさに思考過程であり、それゆえそれは愛ではない。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉

2010-09-02

思考は愛に行き着かないし、愛を育てない

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 思考過程は、常に愛を否定する。感情のもつれを伴うのは思考であって、愛ではない。思考は、愛に対する最大の障害である。思考は、あるがままの実相とあるべき仮相との間の分断をもたらし、そして道徳はこの分断にもとづいている。しかし、道徳的な者も不道徳な者も、いずれも愛を知らない。社会関係を結合させるために精神によって構築されたこの道徳体系は、愛ではなく、それはセメントのそれのような硬化の過程である。思考は愛に行き着かないし、また愛を育てない──なぜなら、愛は、庭の植物のような具合に育成できるものではないからだ。愛を育成しようとする願望こそは、まさに思考の営みなのである。


【『生と覚醒のコメンタリー 1 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(春秋社、1984年)】


生と覚醒のコメンタリー―クリシュナムルティの手帖より〈1〉