2011-11-21
どのような判断もなく観察する
それでは、どのような判断もなく、木に気づき、観察できるでしょうか。また、どのような判断もなく、反応や反発を観察できるでしょうか。このように、私たちは木を見、同時に自分自身を見ることによって、分離の原則――〈私〉と〈私でないもの〉の原則――を根絶するのです。
【『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ/松本恵一訳(めるくまーる、1992年)】
2011-10-19
気づきと反応
木への気づきにはなんの評価もありません。けれども、その木に対する反応があるとき、その木が好き嫌いによって判断されるとき、この気づきのなかに〈私〉――観察の対象とは別の〈私〉――と、〈私でないもの〉という分離が起こります。この〈私〉とは、過去の記憶や経験が、関係のなかで起こす反応なのです。
【『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ/松本恵一訳(めるくまーる、1992年)】
2011-03-22
矛盾と分裂の心理作用
世界は、記憶である〈私〉とのさまざまな関係において見られ、ありのままに見られることはありません。この分離が生活であり、「心理作用」と呼ばれるものの繁茂であり、ここから矛盾と分裂のすべてが起こるのです。これがはっきりとわかりますか。
【『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ/松本恵一訳(めるくまーる、1992年)】
2011-02-10
反応と分離
クリシュナムルティ●心理的な影響を受けずに、木に視覚的に気づくとき、関係のなかに分離はありません。しかし、木に対して心理的な反応があるとき、この反応は条件づけられたもの、すなわち過去の記憶や経験からの反応であり、それが関係のなかに分離をもたらします。この反応によって、関係のなかに、いわゆる〈私〉と〈私でないもの〉が生まれるのです。これが世界との関係におけるあなたのあり方です。これが個人と社会がつくり出されるしくみです。
【『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ/松本恵一訳(めるくまーる、1992年)】