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2011-11-04

率直に考える力

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 正しい教育を生み出すためには、私たちは全体としての生命の意味を明確に理解しなくてはならない。そして更にそのためには、考えるという力──それはまわりくどく考えるのではなく、真実に率直に考える力──をもたねばならない。まわりくどい思想家は浅薄なのである。というのは、こんな人は形式にとらわれ常套句をくり返し、型にはまった狭隘な溝の中で思考しているようなものだからだ。実存というようなものは、抽象的・理論的に理解できる筈のものではない。人生を理解するとは、自己をまともに理解するということにつきる。これこそ教育のアルファでありオメガーである。


【『道徳教育を超えて 教育と人生の意味』クリシュナムーティ/菊川忠夫、杉山秋雄訳(霞ケ関書房、1977年)】


道徳教育を超えて 教育と人生の意味

2011-03-08

手段的な効率

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 野心に基づく効率よりも、はるかに深く偉大な効率はないものだろうか? それは深い愛情に結ばれた効率ということである。人生を統合的に理解するような愛情がないところでは、効率は無慈悲になっていく。そしてこの世の中で実際に起こっていることは、このようなことではないだろうか。現代の私たちの教育は、産業化と斗争を志向している。その主要な目的はといえば、手段的な効率をあげるということに外ならない。私たちはこの無慈悲な競争と相互の斗争という機構の中にはまってしまっているのだ。もし教育がこういう斗争に手をかすのなら、相互に傷つけ合うことに手をかすのなら、その教育は完全に失敗だということではないのか?


【『道徳教育を超えて 教育と人生の意味』クリシュナムーティ/菊川忠夫、杉山秋雄訳(霞ケ関書房、1977年)】


道徳教育を超えて 教育と人生の意味

2011-01-01

知識や能率が葛藤と混乱をもたらす

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 たいがいの人たちにとっては、人生の意味なぞ、大体において最大の重要事にはなっていない。私たちの受けている教育は、第二義的にしか価値がないようなことに重点をおいてしまっている。それは、ある部門の知識に精通することをねらっているいるからだ。もちろん知識といい、能率といっても、それなりに大事なことには違いないのだが、そこだけに重点がおかれてしまうと葛藤と混乱がもたらされるハメになる。


【『道徳教育を超えて 教育と人生の意味』クリシュナムーティ/菊川忠夫、杉山秋雄訳(霞ケ関書房、1977年)】


道徳教育を超えて 教育と人生の意味

2010-11-25

正しい教育とは

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 教育とは精神の訓練だ、などと呑気なことを言ってはいられない。この訓練は、たんに能率を増すことをねらって居り、人間の完成ではない。こういう訓練をうけた精神は、過去の継続ということになってしまい、新しいものを生むことが出来ない。だから正しい教育とは何かと考えぬこうとするなら、私たちは生きるということの意味全体を尋ねてみなければならないのだ。


【『道徳教育を超えて 教育と人生の意味』クリシュナムーティ/菊川忠夫、杉山秋雄訳(霞ケ関書房、1977年)】


道徳教育を超えて 教育と人生の意味

2010-10-19

自分の利得と安全を得るための努力

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 私たちは教育と環境とによって、自分の利得と安全とを得ようとする方向、つまり自分のために努力するという道に向かわされる。そして、私たちは口先ではうまいことをいってごまかしているが、その実、搾取に基づき恐怖をはらんでいるような制度の中で、様々な職業生活が送れるよう訓練されているようなものだ。そのような訓練は、必然的に私たちと世界とに混乱と悲惨をもたらす。というのは、それは各個人の中に他人を分けへだてる心の壁をつくっているからである。


【『道徳教育を超えて 教育と人生の意味』クリシュナムーティ/菊川忠夫、杉山秋雄訳(霞ケ関書房、1977年)】


道徳教育を超えて 教育と人生の意味

2010-09-17

偶然性あるいは後天性

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 私たちは、人間のことといっても、偶然的にある個人につきまとうようなことと、本来的にその個人に根ざすこととを区別しなければいけない。偶然的なこととは、生まれた時の事情とか、たまたま育った環境とかがそうであるが、更に愛郷心・迷信・偏見・階級意識……なども含まれる。偶然的にまとわりついたこのような事柄は一時的なものに過ぎないが、この一時的なものが一生ついてまわることだってある。ところで現在の教育制度は、こうした一時的・偶然的な事柄にとらわれているのではないだろうか。とすると、それは思考をゆがめ、自己防衛の恐怖を植え付けていることにならないだろうか?


【『道徳教育を超えて 教育と人生の意味』クリシュナムーティ/菊川忠夫、杉山秋雄訳(霞ケ関書房、1977年)】


道徳教育を超えて 教育と人生の意味

2010-08-17

逃れられない葛藤

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 もし人間が紛争をただ繰返しているのだったら、私たちが例えば法律家としての訓練をつんだとて何の価値があるだろうか? もし人間が混乱状態をたんに続けるだけなら、知識を習得することに何の価値があるだろうか? もし私たちが相互に傷つけ合うために技術や産業上の知識を用いるのなら、そのような知識に何の意義があるであろうか? もし私たちの生存そのものが私たちを暴力と悲惨に導くのなら、人生にどんな意味があるであろう? たとえ私たちが金銭に恵まれ【かせぎ】がよいとしても、娯楽やら制度的な宗教に保護されているにせよ、私たちは逃れられない葛藤の中にいることになるのだ。


【『道徳教育を超えて 教育と人生の意味』クリシュナムーティ/菊川忠夫、杉山秋雄訳(霞ケ関書房、1977年)】


道徳教育を超えて 教育と人生の意味